メタカルチャー宣言

 

#000: 2010.9.27

『メタカルチャー宣言!』

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20世紀の超現実主義がフロイトの精神分析から生まれたように、
「ピカソの後、二次元アートは終わった」と言われている21世紀において、
現代西洋心理学の金字塔であるNLP(神経言語プログラミング)から
新芸術形態を生み出す目的で「メタカルチャー運動」が創始されました!

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『創刊記念号』

皆さん、初めまして。「変性意識の学際的研究家」の北岡泰典です。

私は、NLP ファシリテータとして、メルマガ「これが本物の NLP だ!」を発行してきていますが、今回、新しいメルマガ「メタカルチャー宣言!」を発刊することになりました。

本号は、創刊記念号です。

過去 30 年間欧米で心理療法 (セラピー)、催眠、NLP 等の現代心理学全般を研究、実践してきている私の意見では、歴史的に言って、西洋心理学の分野において二十世紀初頭にシグムント フロイトが創始した精神分析の運動が芸術分野で開花して、1920 年代にアンドレ ブルトンを中心としたシュールリアリズム (超現実主義) 運動を生み出しました。

その後の数十年にわたる「紆余曲折」を経て、西洋心理学の分野では、「打ち止め」的な究極的方法論として NLP (神経言語プログラミング) が生まれている、というふうに私は強く確信していますが、数十年前にあった「精神分析 → シュールリアリズム」の図式に対応すべき「NLP → □」の部分が、「ピカソの後、二次元アートは終わった」と言われている現代芸術の分野で、今なお「ミッシング リンク」として生まれて来ていないことが、NLP を学び始めた二十数年前からの私の大きな疑問となってきていました。

私自身は、アーティストとしての芸術的素養がないので、私自身がこの新しい芸術運動を芸術家として起こしていくことはできないかと思いますが、「若者に対するオピニオン リーダー」として「サブカル (サブカルチャー)」情報を発信し、かつ、私自身のバックグラウンドである「メタ方法論」である NLP を活用しながら、もしかしたら、サブカルを統合超越した、21 世紀以降の新しい芸術運動の「触発者」になれるのでは、と考えてきていました。

この中で、この新しい、ミッシング リンクとしての芸術運動の名称として「メタカルチャー」という用語を思いつきました。これは、「サブカルを超えた文化」という意味合いですが、今後市場で定着し、かつメタカルチャーを体現する芸術家が誕生するであろうことを心から期待しているところです。

今回、この「メタカルチャー ムーブメント」の発信ソースとして、「メタカルチャー宣言!」サイトを以下の URL に立ち上げることにしました。

http://www.meta-culture.co/

正式稼動は、10 月初旬を考えていますが、それに先立って、本「メタカルチャー宣言!」メルマガを発刊することになった次第です。

今後、サイトと本メルマガを通じて、「メタカルチャー」情報を国内外に発信していくつもりですので、何卒よろしくお願いします。

なお、「メタカルチャー宣言」のステートメントも草案中ですが、最終決定され次第 http://www.meta-culture.co/ サイトで紹介する予定です。

「Meta-culture (メタカルチャー)」の用語は、現在、商標登録出願中です。

以下に、関連情報として、私のメルマガ「これが本物の NLP だ!」第 162 号に掲載された「メタカルチャー (MC) FAQ」を編集引用させていただきます。

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MC FAQ Q1: 「メタカルチャー ムーブメント」とは何か説明していただけますか?

MC FAQ A1:この質問に関連したこととして、私は本メルマガ (「これが本物の NLP だ!」) の以前の号で以下のように書かせていただきました。

「歴史的に言って、心理学のフロイトの精神分析の運動が芸術分野で開花してシュールリアリズム運動を生み出した、と私は見ていますが、その後の何十年にもわたる『紆余曲折』を経て、西洋では、NLP が生まれている、というふうに私は理解しています。このなかで、数十年前にあった『精神分析 → シュールリアリズム』の図式に対応すべき『NLP → □』の部分が、『20 世紀のピカソとともに二次元アートは終わった』と言われている現代芸術の分野では、今なお『ミッシング リンク』として生まれて来ていないことが、NLP を学び始めた 20 年前からの私の大きな疑問となってきています。

このミッシング リンクが発見されたとき、現代アートは『量子的飛躍』を遂げるのだと、私には思えます。」

この「ミッシング リンク」については、個人的には、以前、たとえば、六本木ヒルズやルイ ヴィトンとコラボした、「スーパーフラット」手法を提唱する村上隆氏等に、もしかしたら突破口の可能性があるのでは、と思ったこともありました (村上氏のバックグラウンドが日本画科であることは実に興味深いことです)。

私自身は、アートの素養がないので、私自身がこの新しい芸術運動を芸術家として起こしていくことはできないかと思いますが、ジャズと映画の評論家で、存命中は「若者に対するオピニオン リーダー」だったと私が理解している植草甚一氏 (2007 年秋に世田谷文学館で開催された「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス」展に展示されていた同氏の遺品から見て、同氏自身サブカル体現者であったことは明らかです) のように、若者の触発者として、「サブカル (サブカルチャー)」情報を発信し、かつ、私自身のバックグラウンドである「メタ方法論」である NLP を活用しながら、もしかしたら、サブカルを統合超越した、21世紀以降の新しい芸術運動の「触発者」になれるのでは、と感じています。

この中で、この新しい、ミッシング リンクとしての芸術運動の名称として「メタカルチャー」という用語を思いつきました。これは、これまでに存在した「アングラ」、「サブカル」、「カウンターカルチャー (対抗文化)」といった既存の「非主流的カルチャー」を統合し、かつそれらを「超えた (= 『メタ』) 文化」を意味します。この用語が今後市場で定着し、かつメタカルチャーを体現する芸術家が誕生するであろうことを心から期待しているところです。

この新名称が、「最近の、新宿に続く、渋谷 HMV ショップの閉店に象徴される『サブカルの終焉』以降にどういう文化的潮流がくるべきか」について、一石を投じることを強く願っています。

(なお、「サブカル」という用語は、私が 10 代の頃のから首尾一貫してもっとも強い興味をもち続け、かつ実践し続けてきていたエリアをもっともよく表している用語としてつい最近私が使い始めたもので、以前の私であれば、「精神世界」、「変性意識」といった用語を使っていたエリアとほぼ 100% 重複しています。実は、本メルマガの読者の方々には驚かれる人も多いかと思いますが、私が、20 年近くの英国滞在の後 2001 年に帰国して以来私自身の生業としてきている NLP も、実は、私にとっては、「単に」 ワンオブゼム (one of them) のサブカルの一要素でしかありません。)

具体的な今後の私自身の「メタカルチャー ムーブメント」の動きとしては、メタカルチャー サイトの立ち上げ、月一回程度の「メタカルチャー イブニング (仮称。全 88 回を予定)」、「メタカルチャー ワーク (仮称。無意識と催眠ワークショップを軸としています)」その他のイベントの開催を考えています。

なお、「Meta-culture (メタカルチャー)」の用語は、現在、商標登録出願中です。

MC FAQ Q2: 「シュールリアリズム」とは何ですか?

MC FAQ A2: 今回の私の NLP 資格コースの開催モジュール中に、参加者に対して「シュールリアリズム (超現実主義)」について知っていますか、と質問したところ、何人かの方々から「聞いたことがありません」という反応を受け、私は「驚愕」せざるをえませんでした。

私自身は、高校時代に、美術部が主催し、地元の市民会館で開かれた「アンデパンダン展 (独立展)」を見に行って、マルセル デュシャン、アンディー ウォーホール、ジャクソン ポーラック等に影響を受けた「シュール」なアート作品が展示されているのを目の当たりにして、大きなカルチャー ショックを受けたのですが (1972 年当時、和歌山県の小地方都市で高校生による「アンデパンダン展」が開かれていたという事実を知って驚かれる美術界の「業界人」も多くいるはずですが)、その後も、サルバドール ダリ、キリコ、マルグリット等のシュールなアートに興味をもったり、欧州滞在中は、15 世紀のルネサンス期のネーデルラント (フランドル) の画家であるヒエロニムス・ボッシュの今から 500 年前のシュールな、驚異的な画風に興味をもって、ヨーロッパ中のボッシュの作品を展示した美術館巡りをしたりしてきているので、私の青年時からの文化的素養の中で、超現実主義は、ほぼその最重要な根幹を形作っていると言ってもまったく過言ではありません。(ちなみに、青年時代の私の文化的素養の二本柱がシュールリアリズムとセラピーとしての精神分析 (特に精神分析界ナンバースリーのウィリアム ライヒ) だった事実と、その後の私自身の「永遠のヒッピー」としての文化的素養形成の柱が NLP であり続けてきている事実が、私自身の「精神分析 → シュールリアリズム」 vs 「NLP → □」の議論の論拠になっていることは、実に興味深いと思います。)

その一方で、最近の日本で「超現実主義」という用語を学校で教えていないとなると、私が常々主張している「団塊の世代の人々は後世の世代に (おそらく意図的に) 文化的情報を伝えてきていない」という思いをますます強くした次第です (団塊の世代の人々は、なんという「文化的『犯罪行為』」を犯してきているのでしょうか!)。このことにより、ますます、「平成の植草甚一」として、若者の文化的啓蒙を果たすべき私自身の責任をさらに痛感し始めてもいます。

(非常にうがった見方をすると、私は、1981 年から 2001 年までサハラ砂漠を含む欧米に滞在したわけですが、もしかしたら、その間日本にいた人々は「日常生活に埋没」し、1960 年代のヒッピー文化、カウンターカルチャー、その後のサブカルの「エートス」を忘れ去ってしまうようになっている間、私は、海外生活のなかで「ガラパゴス諸島化」し、「純粋培養」し続けたので、2001 年の帰国後、変わり果てすぎた日本を目にし、「こうあるべきだった日本の姿」がよく見えるのかもしれません。その意味で、仮にもし (この IF は非常に大きいと思いますが) 日本が今後抜本的に変容していく用意があるのであれば、私が、文化的指南者として、その方向性を定めることに大いに貢献でき、かつ、その明示的方法論も提供していけるという自信に満ちています。)

シュールリアリズム (超現実主義) とは、1924 年に、欧州で影響力を誇っていたフロイトの精神分析の影響下で、アンドレ ブルトンが人間の深層心理を表現する芸術運動を始めるべく発表した『シュールリアリズム宣言』に端を発しています。

『シュールリアリズム宣言』では、「私は夢と現実という、外見はまるで相容れないこの二つの状態が、一種の絶対的現実、言ってよければ一種の超現実のなかに、いつしか解消されてしまうことを信じる」とあり、またシュールリアリズムは以下のように定義されています。

「シュルレアリズム、男性名詞。それを通じて人が、口述、記述、その他のあらゆる方法を用い、思考の真の働きを表現しようとする。心の純粋な自動現象。理性によるどんな制約もうけず、美学上ないし道徳上のどんな先入主からも離れた、思考の書き取り。」 (巖谷國士訳)

このように、当初は、文学的運動として始まった感もあるシュールリアリズムは、その後、上述のサルバドール ダリ、キリコ、マルグリット等の画家によって幅広い現代芸術運動として発展していったと言えるかと思います。シュールレアリストと呼ばれるべきアーティストの数は無数にいるかと思いますが、「インスタレーション アーティスト」とも呼ぶべきマルセル デュシャンもシュールリアリストだったと言えるでしょうし、最近新国立美術館で開催されていた写真家として有名な「マン レイ」展では、マン レイも、シュールリアリズムの先駆であるダダイズムにも参加したシュールリアリストだったことを知って、個人的に驚いた次第でした。

近年では、縦に真二つに切断した牛と子牛をホルマリン漬けにした作品で 1995 年にターナー賞を受賞している、英国人アーティストのデミアン ハーストも、マルセル デュシャンの系列に属するシュールリアリストと言えるのかもしれません。

いずれにしても、現代社会におけるテレビ コマーシャルのほぼすべてにシュールリアリズムの手法が使われていると言っても過言ではないでしょうし、最近私が Ustream セッションで論じた映画「Inception」でも超現実的視覚効果がふんだんに使われています。

さらに言うと、日本が誇るとされている漫画・コミック文化も、もしかしたらシュールリアリズムの一部として分類することも可能なのかもしれません。だからこそ、欧米からの日本のコミック文化に対する高い評価があったり、上記の村上隆氏の手法が生まれていたりするのかもしれません。

このように、国内では、シュールリアリズムという用語を聞いたことがない現代人でも、テレビ CF やコミック等で超現実主義の洗礼を無意識的に受け続けているわけですが、それにしても、これだけ重要な現代芸術運動の名前が若い世代にちゃんと受け継がれていないのは、私は、「国家の文化的自殺」をも意味しかねない、忌々しきことだと思いますし、団塊の世代の人々の意図的怠慢性を見事に象徴しているように思えてなりません。

このことに関連して、私は、私のメルマガで以下のことを何回か書いてきています。

「しばらく前に、あるテレビの番組で、元プロ野球選手で元参議院議員の江本孟紀氏 (彼自身団塊の世代です) が、団塊の世代の自己矛盾は、その前の世代が軍国主義から民主主義に一夜で転向したことを見てしまったためだったのではないかといった議論がされているときに、『団塊の世代は確かに「言行不一致」だった。彼らは、今後、退職してから死ぬまでに 10 年から 20 年の余生の人生があるが、その間に何らかの「落とし前」を取ってもらう必要がある』という意味のことを発言されていました。

私は、個人的には、江本氏に同意します。このことについては、以下の私自身の文を再引用したいと思います。

『ひょっとしたら、私は、団塊の世代の人々が私に教えた、学生運動、ロック ミュージック、ドラッグ カルチャー、カウンター カルチャー、精神世界等に関連した生き方を、当の世代の人々は、その後企業に就職することで「アンフィニッシュド ビジネス (未解決の問題)」として頭の片隅に残してきたままでいる一方で、「彼らにみごとに踊らされてしまった」私は、まさしく大江健三郎風に「遅れてきた青年」として、その後の人生で、すべて、実践、実験、体験してきた、という究極の逆説を示唆しているのかもしれません。(その意味で、私は、今後急増していく団塊の世代の退職者の方々に対して、彼らの求める最も適したライフ コーチング (生き方のオリエンテーション) を提供できるという、絶対的自信をもっています。)』

非常に僭越な言い方になるかもしれませんが、団塊の世代の最善の落とし前の取り方として、まず、カウンターカルチャーの落とし子である現代心理学の NLP を右脳的に学ばれて、その後その NLP が土台としている思想的潮流を、これも体験的に、遡及的にさかのぼっていくという方法が幸運にも存在している、と提案させていただきたいと思います。」

今、私自身のこの文章を振り返ってみると、この「団塊の世代の落とし前の取り方」とは、私自身が、「サブカル」と NLP とが止揚統合された新文化的運動としての「メタカルチャー」を団塊の世代の人々に対して私自身の側から「逆発信」して、その運動に参加していただくことによって、(私が団塊の世代の負の遺産の象徴であると定義している) 60 万人の「ニート族」を撲滅する方向に貢献していただくことではないか、と、今、真剣に思い始めています。


以上、今号のメルマガはいかかでしたでしょうか?
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「メタカルチャー宣言!」サイトは以下にあります。
http://www.meta-culture.co/

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